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「助手時代に朝から晩までやらされた」という「音聞き」(本文参照)を取材時に再現してくださった米田さん。

Part.1では、サラリーマン時代を経てこの業界に入るまでを語っていただきました。
今回は、遅めのスタートを切った米田さんの助手時代の話から始めます)

──

編集の助手は、まずどんな仕事から始めるんでしょうか?

米田さん

まずはね、音聞き。

──

音聞き?

米田さん

そう。映画は音と画を別々に撮る(録る)から、
それをシンクロ(同期)させなきゃいけないでしょ。
そのときに基準となるのがカチンコの音。
まずは音が収録されたテープを聞いていって、
カチンコが鳴ったところで、テープに印をつけるんです。
そして記録さんが書いてくれたネガ送りを見ながらカットの順番を並べ替える。
それが「音聞き」。

──

なるほど。

米田さん

音が拾えるようになったら、今度は画を触らせてもらえるんだけど、
画のほうも音と一緒で、カチンコが合わさった瞬間の映像に印を付けていくんです。
そして、音のテープと画のフィルムを、カチンコを基準に同じ長さに切って並べていくの。
そうすると、絵と音を同時にかけたら2つがシンクロするでしょ。

──

はい、なんとなくわかります。

米田さん

で、助手がそれを編集技師さんのところに持っていって、技師が作業をするわけ。
技師の「ここからここまで切って」という指示に沿って切ったりして、
そのクズを集めてナンバーを書いて管理するのも、助手の仕事。
管理しておかないと、後でそのクズを使う場合があるから。


フィルムをテープで順番につないでいく作業を再現中。この機械を最後に触って仕事をしたのは、2007年公開の『茶々〜天涯の貴妃』だそうだ。

──

その当時はフィルムだったんですよね。
ビデオになったのはいつくらいからでしょうか?

米田さん

僕が入った頃でも、すでにサスペンスや土曜ワイド劇場のようなテレビドラマは、
ビデオで撮っていたんです。編集部も1チームくらいはビデオでやっていたし。

時代劇では96年の『快刀!夢一座七変化』は、すでにビデオ撮影だったと思う。
でも「時代劇がビデオでええんか、かつらがバレておかしい」とか、
「ビデオは画面が暗い」とか、そんな声も上がっていたりして。

──

へえ!おもしろい。

米田さん

ビデオ撮影での編集は、最初はリニア編集でやっていました。
2台以上デッキを並べて、テープからテープへ、
映像と音を選択しながらダビングするやり方ね。
いま思うと、えらい原始的(笑)。

それから編集システムもコンピューターに変わって、
いわゆるノンリニアでの編集を初めてやったのが、97年の『新・御宿かわせみ』。
俺の技師デビュー作や!

──

そうなんですね。とすると、米田さんがこの業界に入られたのが92年だから・・・
助手時代はわずか5年!

米田さん

そう。でも、当時は「俺の実力や」と思っていたけど、
いま考えると、コンピューター編集になったから、俺が抜擢されたのかもしれへんなあ。
20年も30年もフィルムで編集してきた先輩たちは、
いきなりコンピューターと言われても、やる気がしないでしょう。
その点、俺は食いつきが早かったから。

──

「技師でやらないか?」という話は、どういう経緯で?

米田さん

うーん、なんやろな。助手の仕事を全部覚えてきたら、
その次の大きな仕事に「予告編を作る」というのがあって、
何本かさせてもらっていたので、
それを観た人たちのなかから声があがってきたと聞いたことはあるけど。

『新・御宿かわせみ』でも、技師デビューの前に、
30分程度のメイキング的なPR番組を作ることになって、
それを、当時助監督だった橋本一さんが監督、俺が編集で作ったの。
当時のPR番組の内容は、
監督のインタビューとかスターのお気に入りのお店とか、
けっこう自由に作ってよかったので、
それはもう、一所懸命やったなあ。楽しかったなあ。30分番組に命かけてたなあ(笑)

──

命かけてた(笑)

米田さん

そう。だって、好きなようにやらせてもらえるってうれしいやん。
橋本さんに、「ここにこんなコーナー作ったらいいと思うけど、監督、どう思う?」
という話ができるわけやん。
いま、橋本さんはえらい監督になったけど、
歳は同じくらいだから対等に話せるし、もう、それは楽しい。

そして、忘れもしない『新・御宿かわせみ』17話!
監督・橋本一、編集・米田で、2人同時デビューした!青春やなあ。
でも俺、もう33(歳)になってたわあ。

──

サラリーマンからこの世界に入って、念願のデビュー!
助手は5年と短くでも、ある意味、長かったですよね。

米田さん

そう。いまになって、たまに助手に
「早く技師になりたいだろ?」って聞くんやけど、たいてい
「いや、まだ無理ですよ」と言うんだよね。あれ、遠慮してるだけなのかな。
俺の場合は、入って1、2年経った頃には、
「早く助手を脱したい」
「1回俺にやらせてくれたら、絶対大丈夫なのになあ(思い切り悔しそうに)」
という意識でやっていたから、ちょっと不思議だね。

──

じゃあ、デビューはほんとうにうれしかったんですね。

米田さん

そりゃそうよ。技師になったら、自分の思うように映像を組み立てていって、
アイデアを突っ込んで創っていくんやで。こんな幸せなことはないわ。
「ここに来て、年収が3分の1になってもよかった」って確信したもん。

──

はは。そして、以来250本を超えるテレビ作品を
手がけるようになるわけですね。

(後半は、いよいよ、編集の仕事の奥深さ、醍醐味にせまります)

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