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差し歯を出しておどけた表情を作る本山さん。これも本山芸のひとつ!

Part.1の続き。今回は役者の仕事に対する意識の変化を語っていただきます)

──

現場で相当怒られたという話でしたけれども。

本山さん

そうですね。でも、なんか現場は楽しかったんですよね。
撮影所に来て2回目の現場が『水戸黄門』のラスタチだったんですけど、
あ、もちろん僕はカラミじゃないですよ。
当時は何もできないので、用心棒で立っているだけ(笑)。

ロケバスに乗ったらテレビで見た人がいっぱいいるんですよ。
「『赤影』で見た人がいる〜」
「いつも見る悪役がいっぱいいる〜」
とか思うわけです。
そんな怖い人たちが、普通に話しかけてくれはる。
それがとてもうれしかった。単にミーハーなだけですけど(笑)

バイトの人間なんて相手にされないものだと思っていたんですけど、
やっぱり僕の外見がどこか変だったんでしょうね。歯は抜けているし。

──

入った当初から歯はなかったんですか?

本山さん

はい。ありませんでした。
「役者は歯がきれいじゃないと」みたいな考えはよく聞きますけど、
僕自身は、「人間なんやから、歯がない人がいてもいいやん」
と思っていました。なかなか理解してもらえないんだけど。

──

うん。たぶん、めずらしいのでしょうね。

本山さん

そうですね。
でも、僕の場合は「他人が何と言おうと俺は俺」みたいなところが強くて、
この仕事を始めたばかりの頃はとくに、まだ若かったから、
生意気なところがずいぶんあったと思います。

たとえば、僕みたいなエキストラは、
化粧やかつらは自分でできないとダメなんですけど、
入った当初は「僕はどうせアルバイトだし」と思っていたから、
化粧さえも覚えようとしなかったりとか。

──

そうなんですか。

本山さん

はい。そのことで覚えているのは、
通い始めて半年ほど経った頃にお会いした、高倉祐二監督のことですね。

監督が、「お前、誰や?」と話しかけてこられたんです。
「僕ですか?アルバイトですよ」
と答えたら、
「アルバイトでも、来たら、やらなあかんよな」
とおっしゃる。だから、
「そりゃ、お金をもらっている以上は一所懸命やりますよ」
と言ったんです。すると、
「じゃあお前、俺の後ろで見ておけ」という話になって。

ある日、時代劇のヤクザどうしのけんかの場面で、高倉監督が
「お前、もうちょっと前に出てこい」
って、僕を使ってくれようとするんです。
なのに、そのときのカメラマンが「下がれ」と。
「何でや?こいつ、なかなかええんやぞ」
と監督は言ってくださったんですが、そのカメラマンが僕のことを、
「頭が無茶苦茶や」って。

──

頭が無茶苦茶?

本山さん

要するに、「かつらの付け方とかが無茶苦茶や」ってことです。

たしかに周りの人と比べると、僕だけ全然違うんですよ。
羽二重を1枚巻かれてかつらを載せただけで、
おでこと羽二重の境目がまったく消えていないし、
だって、境目はテープをびゅっと貼ってあるだけなんです。
顔はどおらんも塗られていない。

頭も化粧も、メークさんにやってもらうだけだったし、
メークさんも、どうせ前に出ることのない僕みたいな、
しかも、やる気があるんかどうかわからんエキストラの頭を、
きちんと仕上げる必要がなかったんやと思います。

──

なるほど。

本山さん

それからですね。
「ああ、自分でちゃんとできないと、仕事にならへんねやなあ」って。

──

そのとき、監督に言われて「前に出たい」と思った?

本山さん

というより、せっかく監督が声をかけてくれてるのに、
格好が理由で出られへんというのは申し訳ないという感じです。

──

そうですか。

本山さん

それからは「最低限のことは自分でやろう」
という気になって覚えるようになりました。


俳優控室にて

──

最初の頃はどんな仕事を?

本山さん

合戦で「走れー!」と言われてひたすら走る足軽とか、単なる通行人とか。

僕は東映俳優養成所のようなところで
ちゃんとしたレッスンを受けたわけじゃないから、
最初は芝居に関して右も左も分からない状態だったんですね。

さっき話した『水戸黄門』の用心棒役のときも、
「弥七さんの隣に立って」と言われて立っていたら、
カメラマンが「もうちょっと右、もうちょっと右」と言うから、
少しずつ弥七さんから離れていったんです。
あとで出来上がったのを見たら、弥七さんの隣でズバッと切られて、
僕は映っていなかった。
要するに「画面から外れなさい」ってことだったんですよ。
それくらい、現場のことがわかってなかった。ははは(笑)

いまだったら、何で外されたのかはわかりますよ。
ただ立っているだけだったら、不自然で、悪目立ちするんです。
ちゃんと用心棒の立ち姿をしていたら、
違和感なく画面に収まったんだろうなと思うけど。

──

そうやって全部現場で覚えていったんですね。
でも、アルバイト気分で入って、
何も知らない現場で苦労してもなお、
なぜ辞めなかったのかというのが気になります。

本山さん

うーん。なぜだろう。
まあ、さきほど言ったように、現場は厳しくても、
現場を出たら普通に話しかけてくださる人がいたりとか、
現場そのものも、みんなが力出し合ってものをつくっていくという過程は
やっぱり見ていて楽しかったし。

あと、僕は入って2年で台本をもらったんですね。
何のレッスンも受けていなかった僕が、
2年で台本をもらえるというのは、明らかに早かったと思うんです。
もちろん、役としてはたいしたものじゃないんですけど、
それをきっかけに「一所懸命やろう」という気にはなりました。

もうひとつは、入って3年くらい経った頃に、
映像京都の仕事でけっこういい役をもらったんですよ。
原田徹監督が『八丁堀捕物話』で僕を呼んでくださって。

──

どんな仕事だったんですか?


俳優控室の入り口。最初の頃は、この部屋の中に入れてもらえず外で着替えをしていたという。 「当時はまだ、着替える場所もないくらい人であふれている日も多かったし、『役者になるつもりのない人間なんやから、別に中に入れてもらえなくても』くらいの感覚でした」と本山さん。今ではしっかり名前があった。

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