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俳優会館内道場にて

映画のまち・太秦には、一般的には無名でも、
監督や主役俳優たちから厚い信頼を集める俳優たちがいます。
彼らが演じるのは、死体、通行人、悪党、斬られ役といった名もない役柄ばかり。
ですが、彼らが持つ殺陣の技術やリアルなアクションは、
1シーン1シーンに効果的な画を作り出し、日本の映像表現を支えてきました。

今回はそのような俳優のひとり、本山力さんにご登場いただきます。
役柄に応じて前歯の差し歯をつけたり外したりして、
奇抜な盗賊からピシッとした侍姿まで、自由自在な変貌ぶりが魅力の本山さん。
市川崑監督の「どら平太」ほか、
阪本順治三池崇史橋本一といった監督からも声がかかり、
数々の作品で存在感ある「名」影役者ぶりを発揮しています。
「どこかで顔を見たことがある」という映画ファンも多いことでしょう。

技術の継承を危ぶむ声が聞こえる太秦で、映画全盛期を知らない本山さんが、
なぜ京都撮影所に入り、そこでの活動を続けているのか。
お話を聞かせていただくほどに、京都への愛着や時代劇へのこだわりが感じられる
ロングインタビューとなりました。どうぞお楽しみください。

本山力さんプロフィール

──

今日はお時間をいただき、ありがとうございます。
撮影所を拠点に働く俳優さんたちのなかでも、
若手でいらっしゃる本山さんに話しを聞いてみたいと思っていました。
本山さんは、殺陣技術集団「東映剣会」の一番の若手だそうですね。

本山さん

はい、そうですね。

──

そして、いわゆる「大部屋俳優」としてご活躍されている。

本山さん

今は大部屋俳優という言い方はしないんですけど、
やっていることにあまり変わりはないですね。

撮影所が専属俳優を雇わなくなったので、
「大部屋」という概念がなくなったんです。
でも、役割としては残っていて、
撮影所の中にある俳優養成所を卒業した方々や
撮影所と古くから付き合いのある芸能事務所に所属する俳優さんなどが、
その役割を担っています。僕は後者のほうで。


本山さん扮する悪役。こういう一風変わった悪役が、本山さんのハマリ役だ。

──

ああ、そうなんですね。
では、現在は東映外部のプロダクション所属の俳優という形なんですね。
そもそものきっかけは何だったんでしょうか?

本山さん

不純な動機で申し訳ないんですが、
僕は俳優になりたいと思っていたわけではなくて、
「アルバイトとしてエキストラができひんもんやろか」
と撮影所に電話してみたのが始まりなんです。

──

いつ頃ですか?

本山さん

21歳のときです。当時、働くのがすごく嫌になっていて、
でもお金は要るし、「なんかおもしろいことで稼がれへんやろか」と思っていて。

──

昔、ハードコアパンクのバンド活動をなさっていたと聞いたんですが。

本山さん

ああ(笑)。それ、どこで聞いたんですか?
それはまあ、ええやないですか(笑)

──

はい(笑)

本山さん

それで、京都には撮影所があるし、
「エキストラをアルバイトでできたらええんちゃうかな」と。

──

普通、「エキストラをアルバイトで」という発想が出てこない気がしますが、
さすが、撮影所が身近にある京都育ちなんだなと思います。

本山さん

うーん、そうですか。でも、時代劇は好きでした。
子どもの頃は『必殺仕事人』が全盛期だったと思います。
あと、テレビ朝日の『三匹が斬る!』とかもよく見ていて、
おもしろいなあとは思っていたんです。だから、
「時代劇に携われて、お金ももらえるんなら、ええなあ」
くらいの感覚で電話してみたんです。

──

電話してみて、その後は?

本山さん

最初は断られたんですよ。
「もういっぱいいっぱいだから」って。
まあ、雇わなくなっていたんだから、しょうがないですよね。
でも、何回か電話していたら、「じゃあ、こっちに電話してみたら?」って
今所属している「桝プロダクション」を紹介してもらいました。

──

で、そこに入って20年余り。

本山さん

まあ、でも、最初は「入った」というより「来た」って感じですよね。
だって、「所属して役者やるぞ」という感覚はまったくなくて、
アルバイトという気持ちだったんです。


今度は侍姿の本山さん。画像が粗くて申し訳ないが、先ほどの悪役の写真とは印象ががらりと変わる。さすが役者さん!なかなかの男前である。

──

最初はどんな体験だったんでしょう?

本山さん

1日目は帰されました。朝に行ってみたら
「今日の撮影は天気のせいで中止になったから」って、
事務所の社長の桝さんに、うまいこと言われて帰されたんですけど、
その日の夜に電話して聞いてみたら、本当の理由はそうではなかったんです。

僕、当時、髪の毛が腰まであったんですよ。
眉毛はまったくなくて、歯もない。
で、時代劇はひげがダメなのに、ひげは生えていたんです。

だから、「想像していた人間が来なかった」というか、
「人間じゃないものが来た」くらいに驚かれたんやと思いますよ。

──

「人間じゃないものが来た」ですか(笑)。
それだけ外見にインパクトがあったんでしょうね。

本山さん

そやけど先輩方も相当怖い顔をしてはったんですよ。
矢部さん(矢部義章)とか小峰さん(小峰隆司)、福本さん(福本清三)、
みんな当時は、素までヤクザ顔になってて、
目が合ったら「怖え〜!」って思ってましたから。
今はだいぶ柔らかい顔をされてますけどね。

──

ああ、そうですか(笑)。ヤクザ映画が多かったですしね。

本山さん

当時の先輩方はほんま、怖かった(笑)

──

ははは。それで、そのあとは?

本山さん

はい。なので、次の日にひげを剃ってから撮影所に行ったんです。

『暴れん坊将軍』の撮影で、
職人の格好をして歩く単なる通行人の役だったんですけど、
けちょんけちょんに叱られるんですよ。
「箱の担ぎ方も歩き方も、さまにならん」って、ボロクソに言われて。

──

歩き方で。

本山さん

そう。時代劇は現代劇と違うんですね。
江戸の職人らしい歩き方ってのがあるんですよ。
大工には大工、籠屋には籠屋の歩き方があるんです。
最初はそんなのできないから、ボロクソです。

でもね、そのとき、現場でご一緒する、
いわゆる大部屋のお姉さん方がすごく優しかったんです。
「今日初めて来たのにわかるわけあらへんやんか」とか
「道具はここに返しておかないと怒られるよ」とか、
細かいことを気にかけて言ってくださって。

今思うと、あれはベテランが若手に教えていく撮影所の伝統なんですよね。

「変なやつやなあ」と思われていたとは思いますけど、
そんな変な人間でもちゃんと相手にしてくれるというのが、
うれしかったのは覚えています。

──

そうですか。でも、歩き方ひとつにちゃんとお芝居がいるんですね。

本山さん

はい。ちゃんとあるんです。
だけどそういうのは、先輩方の演技を見ながら
自分なりに練習して、覚えていくしかないんですよね。


東映剣会の一員として、先輩たちとともに殺陣の稽古に励む本山さん。2010年に東映太秦映画村で行われた「殺陣田村」公演の稽古風景。写真左は「日本一の斬られ役」として知られる福本清三さん。中央が本山力さん、右が峰蘭太郎さん(写真:日浦麻子)

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