京都より、深く、新しい、旬のことをお届けいたします。あなたのうれしい京都、見つけませんか?「京都嵐山クラブ」


東映太秦映画村の『男たちの大和』展示室にて

──

Part.2の続きから)東映京都撮影所に入った当時のことを聞かせてください。

上田さん

当時は、西村晃さんの『水戸黄門』や松平健さんの『暴れん坊将軍』をやっていて、
僕が最初に現場に付いた作品は松方弘樹さんの『遠山の金さん』でした。
いま思うと、その頃は時代劇ばっかりしていましたね。

仕事は、上から言われた通りにして覚えていくんです。
忙しい時代を過ごしてきた先輩たちばかりだったので、
「仕事が早い」イコール「仕事ができる」という風潮があって、
いかに早く終えるのかというのに全力投入していた時代でした。
いまはそれも変わってきて、
道具を作る時間をちゃんととるようになったかな。

あと、昔はやっぱり、両御大が率いてこられた東映京都撮影所らしく、
スタッフが主役中心で動く風習が残っていたので、
主役の道具に関してのこだわりは、すごかった。

前回(Part.2で)に出てきた時計の話や、
刀を何パターンも用意する話と関連しているけど、
昔は、主役俳優にどんな道具を揃えられるかが、
ひとつのプレゼンテーションみたいなものでしたから、
刀ひとつとっても、すごい量の刀を一通りそろえるんです。
それで、「この部分を3センチ長くしてくれる?」とか言われて、
「はいっ!」みたいな(笑)

──

やっぱり、そんな感じだったんですね。

上田さん

でしたね。
スターさんによっては専属の持ち道具さんがいて、
その方々は、そりゃもう、僕らがやる何倍も丁寧にしはります。

──

逆に言うと、それだけ俳優さんも、
道具の大切さをわかっていたということですよね。
はあ、なんだか、すごい世界…。

上田さん

そう。でもその話で大事なのは、刀の量や種類の豊富さではなく、
「それだけの思いがある」ということですよね。
そういう姿勢については「学ばせてもらったなあ」と思います。

ただ僕は、主役に対してだけではなく、万人にそうでありたいと思うんです。
ボランティアでエキストラをやってくださる方々にも、
できるだけ居心地よく作品に関わってもらいたいと思う。
だから僕は、エキストラの持ち道具も、こだわって作ってしまうんです。

──

エキストラさんの道具をそろえるのも、お仕事なのですか?

上田さん

あ、そう、持ち道具は、それも仕事なんです。
エキストラが100人、それぞれ行商人とか百姓とか町娘とかいるとしますよね。
それぞれに合わせて、草履とか、わらじとかを用意するのも仕事です。

──

上田さんは、フジテレビの『大奥』シリーズを何本も担当されていますよね。
あの女優陣の持ち道具も?

上田さん

そうですね。『大奥』にはずっと関わっているので、僕の代表作みたいなものです。
あのシリーズは、名のある女優さんが多く出演されていて、
「衣裳がすごいので、道具もいいものを」と思って、全員分しっかり用意しました。

そのときに作った懐紙入れがあります。
着物の懐に入れておくと様になるというだけのもので、
映像を見ても、たぶん誰も気に留めないと思うんだけど、
ちゃんとしたものを作ったら、演じる人がその役の気分になれるじゃないですか。


『大奥』で使われた懐紙入れ。写真では少ないが、もっとたくさんの量があった。

──

とてもきれい!それに、すごい数ですね。

上田さん

着物や帯に合わせて取り替えられるよう、人数分以上に作ったんです。

──

布地を選ぶところから?

上田さん

そうですね。布地をかき集めて、選んで、裁断して、型紙にはめて。
これもまあ、作っている時は病んでますよね。半分悪ノリが入ってる。
「金襴を見たら、作らなあかん」みたいな(笑)

──

はー。すごい。ちなみに、わらじも作れるんですか?編めるんですか?

上田さん

編めます。編み方は、先輩たちに教えてもらいました。
でも、倉庫にたくさんあるので、作ることはあんまりないですね。

わらじって、すぐにすり減ってつぶれやすいんですよ。
だから昔の人はわらに布を編み込んで作ることもあったと、
文献で読んだことがあって、「じゃあ、やってみようか」と、
作ったこともありますね。そのほうが生活感が出てくるでしょ。


布を編み込んだわらじを見せてくれる上田さん

──

はあー、すごい!なんでもできるんですね。

上田さん

小道具って、本当に幅広いんですよ。
それこそ、リアルな生首とか作らないといけないこともあるし(笑)。

──

だから病むんですね(笑)

上田さん

そう(笑)。あと、小さなことだけど、こだわったことでいえば、
男たちの大和 YAMATO』ですね。
100人くらいの特年兵の人たちが被っている帽子があるでしょ。
あれ全部、帽子の裏にタグを付けているんですよ。

──

タグ!

上田さん

そう。集めてきた資料を見ているときに、
帽子の裏のタグに自分の名前を書いていた写真を見て、
「これ、作りたいなあ」と思って。

特年兵役には、ひとりひとり、ちゃんと名前があったんです。
だから、タグに「第7分隊2番機銃者 誰々」とか書いて付けてあげれば、
彼らも役にのれるだろうし、喜んでもらえるかなと。

──

でも、裏のタグなんて、絶対写らないですよね。

上田さん

そう。絶対写らへんけども、もしかしたら写るかもしれへんし、
いや、たぶん写らへんな。ははは(笑)

僕、そういう小さいことをしてしまうんですよね。
ちょっと、おもしろいじゃないですか。
日の目を見ないとわかっていても、役者をのせるためにやるんです。

──

うーん、すごい!
たしかに、役者も絶対テンション上がりますよねえ。

上田さん

そうであればいいと思ってやっています。
実際、特年兵役の人たちには大変喜んでもらいました。
「おお、俺の帽子や〜!」とか言われて。

──

『男たちの大和』は小道具にすごくこだわったという話を、
以前に聞いたことがあります。

上田さん

まあ、それまであまり経験したことのない時代、分野の作品だったから、
道具がほとんどない状態からのスタートだったんですよね。
なので、かなりたくさんのものを作らないといけなくて、
生存者の方に話を聞きにいったり、資料を片っ端から集めたりして、
勉強がめちゃくちゃ大変でした。

たしか、まだそのへんに「海軍精神注入棒」がありますよ。あった。

──

ああ、あの、内田守役の中村獅童さんが、
ミスを犯した特年兵をかばって棒で叩かれるシーンの、
あの棒ですね!

上田さん

そう。あのシーン、ものすごく痛そうに叩かれているけど、
棒そのものは、叩いても痛くないようなものを用意しなくちゃいけないので、
最初はゴム素材で作ったんです。これはそのゴム素材のやつで。

──

これ、ゴムなんですか?

上田さん

ゴムです。

──

ゴムにまったく見えませんね!しっかり木に見えます。

上田さん

ありがとうございます。でも、意外と、ゴムは叩くと痛いんですよ。
だからこれ、ペケになったやつです。

──

ああ、じゃあ、使ってないんですか?

上田さん

使ってないですね。
たぶん本番はバルサ材で作った棒を使いました。

──

へえ。

上田さん

『大和』はそんな感じで、すべて試行錯誤しながら作ったので、
めちゃくちゃ思い入れのある作品になってしまいました。
でも、あまり思いを入れすぎるのも、良くないですね。

──

え? どうしてですか?

上田さん

自分の思いがありすぎると、作品を否定したくなっちゃうんですよ。
「このカットは要らんやろ」とか「なんでこのアングルなん?」とか。
腹が立ってくるんです。

いや、まあ、あらためて見ると、
やっぱりいい作品に仕上がっているんですけどね。

でも、なんというかなあ。えー、自分の仕事は、
あまり日の目を見ることのない道具の仕事じゃないですか。

でも、その仕事を通して、
芝居づくりにどんな関わり方ができるのかというのは、
常に考えるところではありますよね。


東映太秦映画村の『男たちの大和』展示室に入ったとたん、「うわっ、懐かしい!」と大きな声をあげた上田さん。当時の思い出がよみがえってくる。

撮影所の人々INDEXページへ