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──

(Part.1で)小道具を作る話、「大変だなあ」と思いながら聞いていました。
そうやって、作ったり、揃えたりする準備期間は、どのくらいあるのですか?

上田さん

2週間とか、1ヶ月とか、
作品によってはもうちょっとある場合もある。いろいろです。
準備期間を答えるのは難しいですね。

それに、いくら準備をしていても現場は生ものなので、
現場に入ってから初めて必要になるものって多いんです。
急に「ここで酒を飲むことにしようか」とかなったら、
盃を求めて倉庫に駆け込むとか。そういうことは普通にあります。

もちろん、現場で何が起こってもいいように、準備は徹底してやるんですよ。
ハンカチを使うシーンはないとしても、やっぱりハンカチは用意するし、

──

するんですか?

上田さん

しますね。何があってもいいようにします。

──

あらゆるパターンを考えて。

上田さん

そうです。だからたとえば、缶コーヒーひとつとっても、
缶を開けるところから芝居するのか、缶を開けてしまったあとから撮るのかで、
用意するものが変わってくるから、念のため何個も用意する。

だって、缶を開けるところから芝居をするなら、
テスト用、リテイク用、本番用…とかって、少なくとも5つは要ります。
そうしたら、缶のラベルも5つ要る。
さらに、ひょっとしたら2人で飲むことになるかもしれないとなると、
「2人分用意しないと」となりますよね。

──

はー、そんなに!

上田さん

そう。たいていの場合、道具ひとつ用意するのに、
同じものが何個も要りますね。
主役の刀になると、刺す用とか、吹き替え用とか、
アクション用とか、抜けないやつとか、柔らかい刀とかが状況に応じて要るし、

──

柔らかい刀?

上田さん

発泡スチロールやゴムで作った刀です。
腰に付けたまま転げるシーンなんかを撮るときに、
刀が硬かったら、刀が折れちゃったり、うまく転がれなかったりするので。

──

そんなものがあるんですね!

上田さん

そう。そんな感じで、何本も要るんですよ。残念ながら(笑)。

──

残念ながら、ですか(笑)

上田さん

そう。だから、ほかのパートもみんなそうだと思うけれど、
小道具も、夜帰るのは遅いですよね。
撮影から帰ってきてから次の撮影の準備をしていると、
夜中の1時や2時まで作業することになります。
そのときに台本を読み返して、
「ああ、これも要るんじゃないか?」と思って、
さらに仕事を増やしてしまったりして。

──

用意したのに使わないということも、やはりあるんですよね。

上田さん

あります、というか、それが普通ですね。
10用意して6使われたら、いいほうだと思います。

先日も、ある主役俳優さんの時計を用意するのに、
セイコーやシチズンの時計は手元にあったんだけど、
それではその役者さんは満足しないだろうなあと思って、
オメガと、タグ・ホイヤーと、IWCの高級時計をひと通りそろえたんです。
「そろえる」と簡単に言っても、各社に企画書を書いて送って、
東京本社まで挨拶にいって、と、
やってみたらけっこう面倒な手続きだったんですね。
そうしてなんとかそろえて役者さんのところに持って行ったら、

「うーん、やっぱり、時計はセイコーかシチズンだよね」

と言われて。

──

あらららら。

上田さん

でも、それはそれでいいんです。

──

いいんですか。

上田さん

いいんです。それは、「京都だからできない」と思われたくないというか。
「東京なら用意できるものが京都じゃできない」と思われたら嫌なので、
一応見せる。「ありますよ、ちゃんとそろえられますよ」と。

それに、役者さんや監督に、
「これしかないので、この範囲で芝居してください」なんて、
言うわけにはいかないでしょう。できないとは言いたくない。

だから、結局使わなかったとしても、無駄なようで無駄じゃないんですよ。
用意できたということに対して僕は自負していますし。
僕だけではなくて、ウチの人間はみんなそうだと思います。
無駄なことはわかって用意する。そういう気質なんですよね。

──

はー、すごい!
それにしても、時計ひとつにそんなドラマがあるとは…

上田さん

あるんですよねえ、それが。邪魔くさい仕事ですよねえ。ははは。

──

邪魔くさいですか(笑)。さきほどから、「残念ながら」とか、
「邪魔くさい」とかおっしゃっているのが印象的なのですが、
上田さんはもう、東映に入られて約20年ですよね。
どういう経緯でこの業界に入られたのですか?

上田さん

経緯ですか。えー、僕はもともと学校の先生になりたかったんですね。
美大に行っていて、美術の先生になろうと思って、教職までとってたんですよ。
それが何かの手違いで留年することになってしまって、
留年しているあいだのアルバイトとして、
こういう業界にいた友達の紹介で入ったのが最初ですね。

そのときは、エキストラ出演とか、
小道具の裏方の手伝いみたいなのをやってたんですよ。
で、まあ、撮影現場っておもしろいし、話のネタにもなるし
「いいかなあ」となんとなく思って、卒業してからもダラダラいたんです。

けど、やっぱり一度辞めてアメリカに渡ってみたり、
ふらふらとしてたんですけど、帰国したらまた
「仕事がないんやったら、やらへんか?」と声がかかって、

──

そのまま、ずっと?

上田さん

そうですね。でも、こんなに長くするつもりはなかったんです。
なにせ、しんどい仕事ではあるので。

けど、そうそう。
ある日、当時『眠狂四郎』(関西テレビ)を撮っていた 中島貞夫監督に
「お前は一生、小道具をやるのか?」と聞かれたんですね。
そのときになぜか、「ああ、はいっ、やります!」と答えてしまった。

──

答えてしまった。

上田さん

そう。そのときまであまり考えてなかったんですよ。
でも、「言ってしまった」という感じですよね。
あまり話したことのない監督だったし、
なぜ僕にそうたずねられたのかはいまでもわかりません。
単なる暇つぶしでおっしゃったのかなあ。
わからないですけど、そのことが、心に残っていますね。

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