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Part.3の最後に、東映京都撮影所への想いを
少し語っていただいたので、その辺りからスタートしようと思います。
谷さんは京撮(東映京都撮影所)以外で仕事をすることはあるんですか?

谷さん

あります。でも、90%以上はここ(京撮)ですね。
だから、どうしても贔屓(ひいき)目があるんですけど(笑)

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前回、「温かさ」とおっしゃっいましたが。

谷さん

たとえばね、ウチの撮影所って、全員が、
気が付いたことがあったら動くんですよ。
現場の準備でも片付けでも、手伝えることは部署関係なくみんなで手伝う。

それに、たとえば、若いスタッフがいて
「一所懸命やってもできないんです、失敗ばっかりして」
と落ち込んでいるとするじゃないですか。
でも、ここの撮影所がすごいのは、
ほんまに一所懸命やっていたら、みんながそれをわかっているんですよ。
みんなが、見ないふりして、見ている。

昔、ここの撮影所で自主映画を作ったことがあるんです。
簡単なビデオを回して作るもので。
そうしたら、みんなが手伝ってくれるんです。もちろん、ギャラなしで!
「日頃懸命にやっていたら、力を貸してもらえるんやなあ」
って、ほんま思いましたよね。
その代わり、さぼっているのも見られてるから、
一所懸命やっていないのもバレてる(笑)
だから後輩にも、「一所懸命やるしかないで」って言うんです。

──

ご自身が、中島貞夫監督に「勉強になるから」と言われ、
意気揚々と入ったけれど、最初は思い悩むこともあって…

谷さん

そう。でも、スタッフや齋藤(光正)監督との出会いがあって、
「ああ、あの悩みも、若気の至りやったなあ」って思います。

この撮影所って、本物に出会えるんですよねえ。
監督もそうですし、もちろんスタッフも、役者さんも。
本物は、やっぱり、すごい。なんていうか、すごい(笑)。

プロデューサの坂上順さん、厨子稔雄さん、撮影所所長の奈村協さんとも、
タイ・ブレーカー』で城戸賞をいただいてからは
お話しさせていただく機会が増えたんですけど、
やっぱり、映画を長くやってこられた方って、
「なんと深いところまで考えていらっしゃるんだろう」
と、ほんま、驚きますよね。

人間の捉え方というのが深いし、
世の中をみる洞察力もすごい。
台本を読むとき、私が2つ奥の心理まで読んでいたとしたら、
あの方々は6つ奥まで読んでいらっしゃる。そんなイメージです。

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刺激になりますよね。

谷さん

そうなんです。だから私は、映画に比べて製作期間が短いテレビであっても、
できるだけそこまで考えて取り組みたいなあと思います。

本物に接していると、「自分もその人に追いつきたい」と思うし、
目指すべきところを見せてもらって、そこへ走れるじゃないですか。
こんなに恵まれた環境は、日本全国どこにもないですよ。
あ、だから、スクリプター、募集中!!(笑)

──

募集中なんですか?

谷さん

いや、だってね、いま現在、ここの撮影所で動いているスクリプターが
4人か5人なんですね。そのうち私の下は1人しかいないんです。
もう、トキより少ないんじゃないですか。
絶滅危惧種の紅い札を張ってもらおうかというくらいですよ(笑)

──

ははは(笑)

谷さん

前に(Part.2)話したとおり、私はここのスクリプターは日本一だと思っているし、
そのほとんどがマニュアル化できない文化みたいなものなので、
これは、早く後輩を見つけて、伝えていかないといけないと思うんです。

──

なるほど。

谷さん

そう。


この撮影所には、「スクリプターに代々伝わるブックカバーの作り方」というのがあるそうだ。
「私はいまは革製のカバーを使っていますが、
新人の頃は、厚めの包装紙で作る方法を師匠から教えてもらうんです。
このポケットは、そのときに教わったものをそのまま使っています」。
スクリプターの台本には、計算機やペンなどを差し込むポケット付きのカバーが欠かせないが、
そんな細かいところにも、受け継がれているものがあるのだと心に残った。

──

最後に、これからのことを伺っていきたいなあと思いますが、
その前にひとつ質問したいことがあります。
私は、これだけハードなスクリプターの仕事をこなしながら、
シナリオを書く夢を捨てないということ自体が、
なかなか真似できるものではないように思うのです。
『タイ・ブレーカー』は、私も読ませていただきましたが、
重い題材を大阪の笑いで吹き飛ばすような明るい映画に仕上げていて、
かつ、物語の展開の仕方、伏線の描き方もすごい。
スクリプターとして現場で経験を積みながら、
目の前の仕事だけに終わらせないで、
「いつかはシナリオを書くんだ」という信念がないと、
なかなか書けない作品だと思って。
そのパワーは、どこから湧いてくるのかなと。

谷さん

仕事を始めたときに
「10年はスクリプターのことをしっかりやれ」と言われた、
という話をしましたよね。(part.2参照)
だから、10年は必死でやったんです。

スクリプターの仕事は、齋藤監督と出会ってどんどんおもしろくなるし、
一所懸命だったんですけど、ふと、10年少し経ったくらいのときに、
「あ、ちょっと待ってや。私は本をやりたかったんやな」
と、我に返るように気が付いて、
「そろそろ、せなあかんちゃうかな」と思って。

『タイ・ブレーカー』は、最初は別に書こうと思っていなかったんですけど、
父親がガンで死んで、そのときに体験したことを友達に話していたら、
「それ、映画になったら絶対おもしろいから、本にしぃや!」
と言ってくれて、「そうなんや、おもしろいんか。ほな、書いてみようかな」
というので、書き始めたんですね。

そうしたら、驚いたことに賞をいただいて、
坂上プロデューサーの紹介で知り合ったつかこうへいさんが、
「うちの劇団で舞台公演やれ」って言って下さって。

でも、それは全部、この撮影所で勉強させてもらったおかげですよね。
さっき、『伏線の描き方がすごい』とおっしゃってくださいましたけど、
それも、ここで編集の仕事を見ているからできたことなんです。

だったら、この撮影所に、恩返しをしないといけない。

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恩返し。

谷さん

そうなんです。だから、これから私がやりたいことは、恩返しですね。

まず第一に、私はここの撮影所で、時代劇の映画を作りたい!
それは長年ずっと強く思っていて、
ようやくこの2年間ほどで、時代劇のシナリオを書いたんです。
映画化の目処はまだ全然立っていないけれども、
実現したらいいなと思っています。

もしくは、深作欣二監督の『蒲田行進曲』みたいな映画を、
もう一度この撮影所でできないかなあ、と思っていて。
ああいう、情熱と人間ドラマにあふれた作品は、
ここの雰囲気にぴったりだと思うんですよね。

この2つは、以前からずっと思っていることです。

あとはやっぱり、東日本大震災のことが頭にあります。
いまの日本って、全体的になんだかしぼんでいくようなことばかりで、
「自分には何ができるのか」と考えてしまうけれど、
やっぱり、「それぞれが、それぞれのできることで貢献しよう」
ということしか、ないじゃないですか。

私は毎日、刑事ものなんかの殺人のドラマを作って、
「毒殺!」とか言っているんですけれど(笑)、
そんな私にできるのは、日々、そうしたドラマづくりで培っていることを使って、
日本全国が笑って元気になれるような作品を、必ず作ることだと。
そのために、いまは毎日、修業していると思っています。

この撮影所には、若手もベテランも、
パワーのある映画を作れる人たちがまだまだいるんですよ。
だから絶対に、この撮影所発信で、おもしろい映画を作ってやるぞ!と。

──

ぜひ、一日でも早く、谷さんが書いた脚本で、
京都撮影所で時代劇が作られる日が来るのを私も願っています。
今日は長時間ありがとうございました。

完

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