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──

Part.2の続き)齋藤光正監督との出会いの話から教えてください。

谷さん

初めて齋藤監督とご一緒したのは、
北大路欣也さん主演の『銭形平次』(フジテレビ)でした。

斉藤監督は、人を虜にするのが上手なんですよ。
ご挨拶に行ったとき、こっちは、大ベテランの監督を前に
ものすごく緊張しているんだけど、監督は
「噂は聞いてますよ〜、よろしくね!」という感じで、非常に気さくなんです。
「えっ、私のこと、ご存知なんや!」って嬉しいし、
「ほんなら、がんばろう」という気分になるじゃないですか。
あとになって、「噂は聞いてますよ〜」が
人に接するときの監督の殺し文句なんだって知りましたけど(笑)

──

(笑)

谷さん

で、私はちょうどその頃、
「ドラマづくりの現場って、
効率性やスピード重視でおもしろくない。
もう、この仕事を辞めようかな」
と思い悩んでいたんだけれど(part.2参照)、
齋藤監督によって、「いやいや、そうじゃない」と気づかされるわけです。

ちょっと芝居をつけるだけで、
クールだった女の人が突然情熱的に変わってしまうような演出とか、
それによって世界観がどんどん作られていくすばらしさとか、
そういうのを毎日のように見せてくださって、
「人間って、なんて面白いんだろう!なんて深いんだろう!」
と感動してしまったんです。

──

なるほど。

谷さん

あと、監督は朝に台本を直したりされるんですね。
朝早めに行くと、監督が「これはどう?」と直した台本について意見を求めてくる。
でも、答えられないんですよ。それがとてもショックで。
答えられないということは、読み込みが足りないとか、創造力が足りない、
ドラマを理解していないということじゃないですか。それで、
「ああ、私はなんて仕事をしていなかったんだ!」と思って。

だから、最初に(Part1で)、
「監督の意図は、監督と話したり、本を読み込んでいれば分かる」
みたいなことを言ったけれども、
齋藤監督に出会うまでにそれができていたかは疑問ですよね。
「この監督に何か言われたときに、即、反応できるくらい考えないと」
と思ってから、私の中ではいろんなことが始まったんだと思うんです。

──

大きな出会いだったんですね。

谷さん

はい。でね、一所懸命やっていたら、そのうち、
監督の「どう思う?」にも、「こういう展開はどうですか?」
と言えるようになってきて。そうしたら監督が、
「ああ、それでいこう」と言って、私の案を採用してくれるわけですよ。
監督は、私がもともと本(脚本)を書きたいのは知っているし、
どんどん使ってくれる。そうしたら、ますます楽しくなってくる。

──

わかります。

谷さん

私は『タイ・ブレーカー』という脚本を書いて、
幸運にも2003年に城戸賞をいただいたんですが、それは、たぶん、
そうやって現場で少しずつ教えてくださったおかげだと思うんですね。
だから、私にとって、中島(貞夫)監督が生みの親なら、
齋藤監督は育ての親なんです。


第29回城戸賞で準入賞に選ばれた『タイ・ブレーカー』の脚本。

──

齋藤組でのお仕事は長かったんですか?

谷さん

そうですね。その『銭形平次』から、2010年正月の
『忠臣蔵-その男、大石内蔵助』(テレビ朝日)までなので、15、6年はずっと。

──

映画は?

谷さん

映画は、齋藤組ではやっていません。ずっとテレビ。
中島(貞夫)組では、まだ見習いだったときに師匠の森村幸子さんに付いて、
『極道戦争 武闘派』(1991年)で初めて現場に付かせてもらって、
一本立ちしてからは『極道の妻たち 決着(けじめ)』(1998年)で
ご一緒させてもらいました。どちらも映画で。
中島監督は基本的に映画の人だから、
私はご一緒することが少なかったんです。

──

谷さんはテレビ作品のほうが多いですものね。

谷さん

そうですね。映画、やりたいですけどね。そりゃ、もちろん。

──

印象に残っている現場はありますか?

谷さん

そうですねえ、大変だったのは『RED SHADOW 赤影』ですね。
これは大変だった!

──

ああ。ちょっと異色な時代劇ですよね。

谷さん

そう。監督が、布袋寅泰さんや今井美樹さんといったミュージシャンの
プロモーションビデオを製作されている中野裕之監督だったので、
作り方が、東映京都の監督と全然違うんです。
自分のインスピレーションで、
「これ、要るな」と思ったところから撮っていかれるので、
ドラマのつながりをあまり意識されなくてね、
うっかりしていると、「斬られてないのに死んでる!」
みたいなことがあるんですよ。
どこを撮っているかさえもわからないから、ナンバー管理もできない。

監督は「自分で編集するから、つながりは気にしなくていいよ」
とおっしゃるんだけど、スクリプターの私としては、
撮影所の編集マンにも仕事をしてもらいたいし、
その人に伝えるのが自分の仕事だと思っているので、
「ちゃんと整理するぞ!と思って半分は意地になっていました(笑)
(※この辺の話は、スクリプターの仕事を説明したpart.1を読むと、理解しやすい)


「持っている台本の中でいちばんボロボロです(笑)」と話す『RED SHADOW 赤影』の台本。
凄まじい書き込みが、谷さんの苦労を物語っている。

谷さん

おまけに、普通のテレビ作品の場合、
1日に撮るのはだいたい60カットくらいですけど、
中野監督は1日に150カットとか撮影されるんで、
監督がどうやってつなぎたいのかというのを聞いて、
150枚分の編集リストを並び替えて、編集マンに伝わるようにするのって、
毎日、ものすごい大変な作業になんですね。
夜中に撮影が終わってからそれをするので、ほとんど寝ていなかったですね。

──

うわあ!!

谷さん

でも、どのパートも大変だったんですよ。
人間ってね、睡眠不足が続くと、喜怒哀楽が激しくなるんです。
みんな、すぐ笑って、すぐ怒る。
だから、現場は人間臭くて楽しかったですよ、いま思えば。

──

大変なほうが一体感があるというか

谷さん

というのはありますよね。東映京都撮影所としても
新しい形の時代劇だったし、ちょっとした対立もあったりして。

──

対立?

谷さん

殺陣の考え方がね、東映京都の時代劇の伝統としては、
「勧善懲悪」というのがあるんだけど、
中野監督がピース(peace)な方なんで、
「いや、ヒーローは人を殺しません」とおっしゃる。

クランクインした後にそういう話になって、「じゃあどうするか」というので、
監督をはじめ、プロデューサー、殺陣師の菅原俊夫さんを交えて
午前中はずっと会議という日が、4日間くらい続いたんです。
演出サイドじゃない技術スタッフは、
「こうなったらいつ寝られるかわからへん。戦いや!」
と、頭にハチマキ巻いて気合いを入れたりしている人もいて(笑)

──

すごい現場ですね!

谷さん

そう。ほんと、すごかった(笑)。

──

新しいタイプの監督だったら、そういうこともありそうですよね。

谷さん

でも、外部の監督ではなくても、
現場での意見の食い違いはよくあることです。
ただ、そういう対立も、すべて作品を良くするためにしていることじゃないですか。

私、東映京都撮影所で仕事をできていることを、
とてもありがたいことだと思っているんです。

だって、意見のぶつかり合いを乗り越えて、
何十年と作品を作ってきた者どうしの集まりなんで、
撮影所にしかない…なんやろう、“温かさ”?みたいなのが、
やっぱりありますよね。


取材時、谷さんは、和泉(聖治)組のクランクインに向けて準備中だった。
撮影所では、撮影準備が始まると組ごとに部屋が割り当てられるという。
ここが和泉組の部屋で、助監督さんたちが準備作業をしていた。
こういう若いスタッフも含め全員が、悪戦苦闘しながら、
いい作品を作るためにひとつになっているところが、「東映京都撮影所」というところなのだ。

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