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撮影部の作業の隙を見て、キャメラのサイズを確認している谷さん。村上弘明主演『銭形平次』(テレビ朝日)の現場にて

──

前回(Part.1)のお話を伺って、スクリプターって
とにかく大変な仕事だなあ、と感じています。
日本の映像業界では、スクリプターは
伝統的に女性が多い仕事だとされていますよね。

谷さん

そうです。細かなチェックが求められるので、
女性のほうが適しているからだとか言われますよね。

あと、スクリプターの仕事は「内助の功」的というか、
裏サポートのような部分がいっぱいあるんですよ。
男同士だとケンカになりそうなところを、女性がいるだけで丸く納まるみたいな、
そういう潤滑油的なところもあるなあと思います。

──

女性であることを意識しますか?

谷さん

入ったばかりのときは、まだ若いから、
「負けんとこ!」「女と思ってくれんな!」
という気持ちがすごくありました。
でも、仕事しているうちに、この私も丸くなってきましてね(笑)、
「女ということが役に立つんやったら、どんどん活かさないと」
と思うようにはなりましたよね。

あのね、私は、この東映京都撮影所のスクリプターって、
日本一だと思っているんです

──

日本一ですか!

谷さん

そう。あ、もちろん私が日本一ということではなくて(笑)

──

ではなくて(笑)、

谷さん

そういった「内助の功」的なところとか、
出しゃばらず、演出のことも理解して、場を和ませながら、
スタッフ全員がそれぞれの持ち場で力を発揮できるように
いろいろなことを伝達して、ドラマをつないでいく
という一連の仕事は、師匠や、その前の師匠から
ずっと受け継がれてきた文化やな、と思うし。

──

そのスクリプター文化が日本一だなあと。

谷さん

そうです。

──

谷さんの師匠はどういった方だったんですか?

谷さん

私の師匠は森村幸子さんという方で、
極妻シリーズとか任侠ものとかを長年担当していらっしゃいました。
でも、スクリプターって、見習い期間は半年程度なんです。

師匠に付いて、師匠がやっている通りに自分もやってみるというのを
半年くらい経験したら、もうデビュー。デビューしたあとは、助手もいないし、
自分の腕一本でやっていかないといけない。
だから最初の数年間は、クランクイン前になると
何か失敗するんじゃないかって怖くて怖くて、熱出してましたね。

──

大変…。

谷さん

でも、師匠は、一から丁寧に教えてくださいました。

師匠から教わった台本の勉強の仕方があるんですけど、
たとえばね、台本をもらったら、シーンの場所や時間、そのときに誰が出ているか、
といったことを一覧表に書き出していくんです。


シーンごとに、番号と目安のタイム、場所や設定時間、登場人物を、一覧で書き出している。
このようにきめ細かい作業を繰り返し、何度も台本を読むことで、ドラマのつながりを頭に叩き込むそうだ。

谷さん

単に読んでいるだけだと頭から抜けていくんですけど、
こうして書き出しておくと、いったいどういう状況の場面なのかがよくわかるし、
ドラマとしてつじつまが合わないことが見つかるんですよ。
だったら、クランクインする前に監督に相談して、台本を直すこともできますよね。
この台本の勉強の仕方は、全部、師匠から教わったことなんです。

──

なるほど。たしかに、読み込み方が違ってきそうですよね。
ところで、谷さんは台本直しを頼まれることもあるそうですが。

谷さん

そうですね。台本を読み込めばいろいろ見えてくるので、監督に、
「監督、こうしたほうが良いと思いますけど」と提案したら、
「じゃあ、直しといてよ」と言ってくださったりするので。

とくに私は「脚本を書きたい」という気持ちが強くあるし、
それをわかってくださっている方が多いので、
任せていただけるんだと思います。

──

もともと脚本を書きたくて東映に来られたんですよね?

谷さん

えっと、ここに入る前は、大阪芸術大学映像学科の学生でした。
3回生のとき、1年間かけて映画を作る課題があって、
友人の誘いで脚本を書いたら、その年の脚本賞をもらってしまったんですね。
それで「ひょっとして私、向いてる?」
と思い込んでしまったのがすべての始まりで(笑)

その脚本を指導してくださったのが、
教授であった映画監督の中島貞夫監督なんです。

──

その中島監督の薦めで、京都撮影所に入る?

谷さん

そうです。「脚本を書きたいんだったら、現場で経験を積みなさい」と。
「最初から脚本は書けないけれど、記録(スクリプター)だったら、
ずっと監督のそばに付いて仕事をするから、絶対勉強になる」
と言われて。

──

中島監督に薦められるまでは、記録の仕事を知らなかった?

谷さん

知りませんでした。その頃の大学では記録なんて教えてもらわなかったから。
でもね、入ったときにね、
「10年は記録をしっかりやれ」って言われたんですよ。
「いくら本をやりたいと思って入ったとしても、
記録は10年間やって、やっと一人前やから」
と。だから、入って10年ちょっとは、本のことは一切考えず、
ただ必死に記録の仕事をしました。

──

記録も楽しかったのですか?「したいことをできていない」という葛藤は?

谷さん

記録が嫌というより、入社して3年目くらいの頃かな、
映像製作の仕事そのものを、
辛く感じる時期というのはありましたね、若気の至りで。

もう毎日眠いし、目の前の作業をこなしていくことだけで精一杯で、
大変さばかりが積もっていくじゃないですか。
スピードとか効率性だけで淡々と進めているだけのような気がして、
「ドラマづくりって、本来はもっとおもしろいものじゃないのかなあ」
「学生時代はもっと楽しいと思っていたのになあ」って。
あの頃は、「もう辞めようか」って投げ出したくなっていました。

──

そこまで。

谷さん

そう。でも、そのタイミングで出会ったのが、齋藤光正監督なんですよ。
初めて仕事をさせてもらったときに、
「ああ、なんて自分は、全然仕事をしていなかったんだ!」
と、気づかされるわけですね。


現場での谷さん。毎日、その日の撮影分の記録を編集に送らないといけないため、
照明のセッティング中や休憩時間など、合間を見つけたら作業をしているという。
田村正和主演『忠臣蔵外伝 音無の剣』(テレビ朝日)の現場にて


「撮影終了後、仕事が終わったスタッフが部屋で宴会を始めても、
記録の仕事が終わるまでは参加できないんですよね」と谷さん。
このハードさなら、「新人の頃は楽しさがわからなかった」というのも、無理はないと思う。
写真は北大路欣也主演『落日燃ゆ』(テレビ朝日)製作時。

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