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──

ジェイムス・ディーンに憧れて(Part.1参照)撮影所に入って、
それなりの役ももらっていたのに、結果的に演技事務へ移られる。
お気持ちとしてはどうだったのですか?

山下さん

やっぱり、最初はなりたくなかったですよ。前に話したように(part.2参照)、
映画村への異動や守衛さんになる話も断って、
役者を続ける気でいたくらいだから。

最初に「演技事務に行かないか?」という話が来たのは、
ちょうど、映画村が開村する1975年でした。
11月に演技事務の人が定年で退職するというので、
その後に就かないかというわけです。

「大部屋の中から候補者が何人か挙がったけど、
全員断られた。山ちゃん、なんとか頼む」
と、当時の演技課長が何度も頭を下げにくる。
12月になっても決まっていない。決まらないならしょうがない。
「わかった、なる、なりますよ」という感じで引き受けてしまったのね。

入ってみると、まあ、この仕事は気をつかう。
現場スタッフからも役者からも信頼されて、言いたいことは言って…
という演技事務の理想像を描いていたけど、思うようにできない。
精神的にバランスを崩して、過労もあって、2ヶ月ほど倒れたこともあった。
でもね、まあ、その入院を機に、
「無理な理想像を捨てて、ありのままの自分でやろう」
と思えるようになって。そしたら、この仕事のやりがいもわかってきた。

──

やりがい?

山下さん

たとえばね、前回(Part.3)話したように、演技事務の仕事には、
エキストラキャスティングがあるわけ。

僕は、1975年以降の京都太秦映像の作品は
ほとんど担当させてもらったし、映画では、阪本順治監督が
初めてウチで撮った新仁義(『新・仁義なき戦い』)も担当しました。

新仁義のとき、場面場面に剣会の人たちに出てもらったら、
監督がものすごく喜んでくれて、
それ以降、監督と剣会の関係が続いているんです。
京撮におみえになったときは、「元気ですか?」とご挨拶に来てくださる。
三池崇史監督もそうですよ。

演技事務のような陰の仕事でも、作品が仕上がって、
監督から「ありがとう」と言ってもらえる。
それは、いちばんうれしいですよ。

僕は30年ほど『水戸黄門』を担当してきたから、
水戸黄門のそれぞれの監督についてはよくわかっている。
でも、外部から来られる監督に対しては、一発勝負でしょ。
ならば一発で、『京撮はさすがや』と思ってもらいたい。

──

「京都撮影所で撮りたい」とおっしゃる監督さんや役者さんの声は、
雑誌などでもよく聞きますよね。

山下さん

うん、もちろん、全員が全員じゃないよ。
京撮が合わない人も、もちろんいるんだけれども、
なるべく、「また来たい」と思ってもらいたい。

やっぱりね、あうんの呼吸なんです。
よそから来た監督が、京撮のスタッフと組むのは初めてなのに
「ちゃんと意を汲んでくれる、あうんで物事を進めてくれる」
と感じてくれたときは、満足度は高いと思う。
その「あうん」をうまく合わせてくれるスタッフが、ウチにはいっぱいいるんです。

逆に、どこかがひとつ狂ったら、どうしたってガタガタしてしまうから、
僕も気を緩めたら絶対ダメ。たとえ表に出ない仕事でも、
手抜きは絶対ダメだし、ちゃんとやっていれば、
どこかで誰かが必ず見ていてくれるんです。


京都撮影所について話す山下さんからは、同じ撮影所で働く仲間たちへの尊敬が感じられるようだった。

──

山下さんは、照明部や撮影部に入った若いスタッフ、全員と
顔見知りだと聞いたことがあります。

山下さん

うん。どこかで必ず声をかけるようにしているの。
変な話、僕のことを知らないという人がこの撮影所にいたら、もぐりだと思う(笑)

──

俳優さんからの信頼も厚いですよね。

山下さん

ありがたいことです。長くやっているとね、いろんな方が
「山ちゃん、頼むわ」と言って人を紹介してくれるんです。
そうすると、ほっとけないでしょ(笑)。

まあ、任されたら、大変なことはいっぱいあるよ。
俳優さんも、俳優である前にひとりの人間。
性格も違えば、個人の事情も、悩みもそれぞれにある。
相談事をされることもあるし、他人には絶対言えへんことは、山ほどあるの。

それでも、現場に集中して、いい演技をしてもらいたい。
それが僕たちの仕事だから。

だから、「演技事務」と言うけれども、
単に事務的な連絡をしておけばいい、ということじゃない。
ひとりひとりの気持ちを汲みながら、「がんばって」と送り出す。
信頼されるというのは、そういうことの積み重ねやと思います。


思い出が詰まったたくさんの写真を出してくださった。どの俳優さんとも親しげな様子が伝わってくる。

山下さん

僕ね、1年ほど前、『翼の王国』というANAの機関誌に載ったんですよ。
そしたら、片岡鶴太郎さん、小林稔侍さん、中村雅俊さん、
ほかにもみーんなが、「載ってたね、読んだよ!」と連絡をくれてね。
僕としては、
「ああ、みんな飛行機に乗ってどこかへ行っている。
つまり、それだけ活躍しているんだなあ」
と思うと、とてもうれしかった。

そのあと、ユニクロの新ウルトラダウンジャケットのCMにもちらっと出たんだけど、
さすが反響がすごくて、船越さんや内藤剛志さん、
伊吹吾郎さん、あおい輝彦さん、みーんな「見たよ〜」って(笑)。

──

すごいラインナップですね。

山下さん

そう。こんなふうに声をかけていただけるというのは、とてもうれしい。

──

長年俳優さんと接してきて、
「やっぱりこの人はすごいな」とか、
印象に残っている方はいらっしゃいますか?

山下さん

うーん。それ、よく聞かれるけれども、僕にとっては、
僕の前に現れた人は、みんな一番なんです。
あの人が一番、この人が二番じゃなくて、
この人も一番、この人も一番、みーんな一番なんです。

──

みーんな一番、なんですね。お話を聞きながら、なんとなく、
皆さんが山下さんを慕う理由がわかるような気がします。

山下さん

僕ね、仕事でいちばん肝心なことは、人と人とのつながりやと思うんです。
一人より二人、二人より三人。
もちろん、抱えたら抱えるほどしんどくなるけれども、
それは仕事をしやすくするためにも、自分自身のためにも、
必要なことやと思う。

──

山下さんあっての、京都撮影所ですね。

山下さん

いや、でも、時代は変わっているから。
「山ちゃん、いる?」って言って撮影所に入ってきてくれる人は
たくさんいるけれども、いまは、事務所の後輩を頼ってくる人もたくさんいる。
そこは、ちゃんと受け継いでいかなきゃと思っています。

完

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