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──

高倉健さんの付き人時代の話を聞かせてもらえますか?

山下さん

高倉さんと初めてお会いしたのは、
阿部(九州男)さんの付き人を辞めて間もない頃。
萬屋錦之介さん主演の『宮本武蔵 二刀流開眼』(1963年)に、
佐々木小次郎の役で出演するというのでこちらに来られたわけです。

でも、最初に付いたのは僕ではないの。そのときは、
錦之介さんの付き人をしていた僕の友達が、高倉さんにも付きました。
僕はその友達を通じてご挨拶させてもらって。それが最初でした。

その後の『日本侠客伝』で、また高倉さんが来られることになったんだけど、
シリーズ1本目が終わったら、
錦之介さんが東京に行かれることになり、その友達も一緒に付いて東京へ行く。
「じゃあ高倉さんには誰が付くの?」となって、
「顔を知っている山下に」ということで、
演技課長から声をかけてもらったんです。

でも実はね、僕はそのちょっと前に、俊藤浩滋プロデューサーから
藤山寛美さんのお世話を頼まれていたんです。

──

すごい。山下さんは、すでに当時から
スタッフや俳優さんからの信頼度が高かったんじゃないでしょうか。

山下さん

さあ、それはわからないけれども、とにかくなんとかしなくちゃというので、
結果的に、前川良三さんという、役者仲間で親しい先輩に
高倉さんに正式に付いてもらって、
僕は、藤山さんのお仕事がないときだけ、高倉さんを手伝うことになりました。

なので、僕は藤山さん、高倉さんのお二人から、
大変かわいがってもらったんです。
といっても、高倉さんは、藤山さんから僕を借りていると思っているし、
藤山さんは、高倉さんから僕を借りていると思っていて、
それぞれに気を遣わせてしまったんですけど(笑)


付き人時代の話をする山下さんは、非常にうれしそうだ

──

高倉さんはどんな方でしたか?

山下さん

厳しかったですよ。同じことを二度たずねたら、
「前に言わなかったか?」とおっしゃる。
だから、お付き合いのある方々のお名前や電話番号など、
一度言われたことは必ずメモをとるようになりました。
今でもノートに几帳面に付ける癖があるんですよね。

──

怖かったんですか?

山下さん

怖かったよ〜(笑)。でもね、しかることで、教えてくださってたんだと思います。

僕と違って、前川さんはしっかりしていたから、しかられないの。
僕のほうは言いたいこと言って好きなことをしてたもんだから、
ある時は高倉さんの楽屋で三味線の稽古をしているのを見つかって、
「お前は何をしてるんだ!?」としばかれました(笑)

しっかり者の前川さんと、お調子者の僕の二人が付いて、
高倉さんにとってはバランスがとれてたんじゃないかな、
と僕は思っているですけど。
あ、こんなことを言ったら、またしかられちゃうかな(笑)

──

しかられていたというのも、今ではいい思い出ですよね。

山下さん

はい。本当にいいお付き合いをさせてもらったし、勉強になりました。
高倉さんはよく知られるように、義理堅く礼儀正しい方で、
スポーツ界や政界、あらゆる方々とお付き合いがある。
だから、電話のかけ方ひとつとっても、
本当の礼儀を学ばせてもらいましたよね。

高倉さんを通じて、千葉真一さん、小林稔侍さんといった方々とも、
交流が広がっていきました。千葉さんが京都に来られるときに、
「今度、こんなやつが来るから面倒みてあげてくれ」
と高倉さんがおっしゃる。
そんなふうにして、次から次にいろんな方と知り合うんです。
そのつながりのなかに、今の自分があるんだと思います。

──

その付き人での働きぶりが認められて、
製作から演技事務への誘いが来るんですよね?

山下さん

当時は役者仲間にいろいろな話がきていたんです。
映画村(東映太秦映画村)ができたときには、
そこの喫茶スタッフにならないかと話がくる。
「そっちに異動したら、ちゃんと社員として、上の立場を保証するから」とか、
当時はそういう約束事があったんです。

──

そうなんですね。映画産業の斜陽化が進むなか、
撮影所で働く社員の雇用の受け皿となったのが
東映太秦映画村と聞きますが、そのリアルな体験談ですね。

山下さん

そう、そのときはね、映画村がオープンする半年前から、
それまで役者をしていた仲間がそろって研修に行くんです。
喫茶部門に行く人は、コーヒーの淹れ方の研修に行ったりしてたわけ。

──

ちょっと悲しい話ですね。

山下さん

うん。でも、僕は役者をしたいから、映画村に行くのは断った。
その後、撮影所の守衛さんが定年で辞められたときにも、
「山ちゃん、守衛にならへんか」と言われたんですが、それも断った。

だから演技事務になることに決めたとき、拓ボン(川谷拓三)が
「なんでや!なんで。今までやってきたのに。もったいない」
って言ってくれてね。あのことは、今でも忘れられない。

──

ではなぜ演技事務に?というのがとても気になりますが、
そもそも演技事務というのがどういう仕事なのか、
素人にはまったくわからないので、
先にそちらを話していただいていいですか?

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