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『水戸黄門』の撮影現場にて

──

Part.1で、美空ひばりさんのひとことで
殺陣師になることを決意された話を教えていただきましたが、
殺陣師の修業というのはどういうものなんですか?

菅原さん

東映京都の殺陣は、足立伶二郎さんという殺陣師がルーツなんですが、
僕が殺陣師部に入ったときには、足立さんは東京に移られていたので、
僕には師匠と呼べる人がいないんです。
いちおう、何人かの先輩の殺陣師に付いて助手をしましたが、
役者を10年やっていて現場を知っているので、ほどなく一本立ちしました。

よく、「武道の経験があるんですか?」と聞かれるんですが、
剣道と柔道を少しやっていた程度で、ほかはまったく知りません。
でも、昔は作品の度に勉強させてもらえました。

たとえば、78年の『宇宙からのメッセージ』(深作欣二監督)では
フェンシングを習いにオリンピック出場選手のところへ通ったし、
同じ深作組の『魔界転生』(81年)では、深作さんに
「おい、菅チン。槍(そう)術の宝蔵院流を習ってきてくれ」と言われて、
室田日出男さんと一緒に奈良まで行きました。

行ったらね、槍(やり)って重いんですよ。室田さんは初日でダウン(笑)
僕は毎日、弁当を持って通いました。
9尺(約2.7m)もある本橿(ほんがし)の槍を「持て」と言われるんですが、
重くて持てたもんじゃない。それをその人は片手で軽々持つんです。
それで、手元をちょっと動かすだけで、
遠心力がかかるから、槍先がぐるぐる、びゅんびゅん揺れる。
「かかってこい」と言われて、短い槍を持って飛びかかろうとするけど、
目の前でびゅんびゅん揺れるととても近づけないですよ。

『影の軍団』のときは、工藤栄一さんが、
「アメフトでがーんとぶつかるようなのがやりたい」
というから、大学のアメフト部まで習いに行ったしね。

とにかく、どの角度でどう撮ったら迫力が出るのかというのは、
自分が味わってみないことにはわからないですよ。

──

昔の作品を参考にすることは?

菅原さん

もちろんあります。昔の作品をリメイクする際には必ず観ますしね。
伊藤大輔さんや内田吐夢さんのような巨匠の作品は、
全部観ています。立ち回りだけじゃなくカット割りまで観るんです。

──

カット割りまで

菅原さん

東映の殺陣師は歴代、だいたいカット割りまでやるんです。

90年頃だったかなあ、北大路欣也さん主演で、
12時間のテレビドラマで『宮本武蔵』をやったんです。
それを観た東映の関係者が、
「第二部の般若坂の決闘シーンは、
内田吐夢さんが萬屋錦之介主演で撮った
『宮本武蔵 般若坂の決斗』とそっくりですね」
と言ったんですが、その通りなんですよ。
立ち回りだけじゃなく、カット割りやカメラワークまで、ものすごく意識した。

「真似ですか」と思われるかもしれないけど、
演じる人もスタッフも違うので、同じにはならないですよ。
むしろ、先人が残した良い作品を真似て、
次の作品で受け継いで行くというのは大事なことだと思っているんですね。

──

それにしては、というとなんですが、
菅原さんが担当された作品のリストを観ると、
『戦国自衛隊』(79年)や『魔界転生』(81年)、『影の軍団』シリーズなど、
正統派時代劇というより
千葉真一さんを起用したアクション的な立ち回りが多いですよね。

菅原さん

そう、変わったのが多いんですよ(笑)
担当した作品は、映画が斜陽化するなかで敢えて挑戦したような大作が多く、
新しいこともバンバンやっています。

『影の軍団』のときは、塀を思い切り飛び越えるようなのをやろうと、
あけびや藤の蔓(つる)をたくさん作って、
トランポリンに似通ったものを小道具に作ってもらった。
本物のトランポリンに蔓を絡めただけだけど、
その時代に存在していたもののように見えるんです。
それを使ってジャンプすれば説得力があるでしょ。
あとは、頭の上を堂々と飛んだり、肩をダダダッと渡って行ったりね。
そんなアクションをやる時代劇はそれまでになかったんです。

新しいことをやるんだから、厳しいこともたくさんありました。
殺陣師部の先輩からは「なんや、あんな体操みたいなことをして」
と非難の声をたくさんいただきました。
でも、そうしないと『影の軍団』は完成しなかったんですよ。


撮影現場で使う菅原さん専用の椅子。名前の代わりに記されている「殺し屋」の文字が粋。

菅原さん

そうそう、こんなこともありました。
もう何十年も前のことですけど、千葉さん率いるJAC
殺陣集団として歴史と伝統を誇る東映剣会と一緒に撮ることになったとき、
剣会のメンバーには反対する人が多かったんです。
そのなかでただひとり、協力してくれたのが福本清三でした。

「いいやんか、一緒にやったら。
一緒にやって、負けんかったらええんや。俺は負けへんで」

と言う。つまり、役者なんだから芸で勝負しよう、ということやね。

──

かっこいい。

菅原さん

そんなわけで結局やることになったんですが、
この話には続きがあってね。

福本清三が『影の軍団』シリーズでそこそこセリフのある役がついたときです。
普通なら吹き替えでやるようなアクションシーンで、僕は
「おい、福ちゃん。ここからバーンとあの塀に登るようなアクション、できるか?」
と聞いた。そしたら彼は、

「やってみるわ。もしあかんかったら考えてな」

と言う。それで僕も調子に乗って、

「よし、じゃあ、塀に飛び乗ったら、
塀の上で立ち回りして飛び降りるまでワンカットで行こう」

と言ったんです。福ちゃん、「ええええ!?」と驚いていた。
そりゃそうですよ、そんな無茶なアクション、普通はできないですよ(笑)
JACの人たちも全員が「そんなの無理」と思っていたわけです。

ところがどっこい。やってのけたわけです。
ばばばばーっと塀に飛び乗って、シュッシュッと斬って、サッと飛び降りる。
そりゃあ見事、完璧。
「俺は負けへんで」と言ったのを、見事やってのけたわけですね。

──

かっこよすぎます!

菅原さん

だから、彼とは中途半端な付き合いじゃないんですよ。

時々、僕が新しい殺陣を作ったと言ってくださる人がいるけれど、
僕ひとりの力じゃないんです。
福本みたいな仲間や、ひばりさんのような恩人、
そして、新しいことに挑戦させてくれて、
遊びも厳しさも教えてくれた深作さんのおかげなんです。


正統な殺陣から新しい殺陣まで、日本の時代劇を支えてきた菅原さん。
国民的テレビ番組『水戸黄門』にも40年以上携わってきたが、
同番組は平成23年(2011年)12月19日の最終回スペシャルで、42年の歴史に幕を閉じた。
写真は、最後の撮影現場で、クランクアップまで役者を見守る菅原さん。

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