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Part.1で照明技師の仕事をざっくり教えていただきましたので、
今回からは安藤さん自身の体験を語っていただきたいと思います。
安藤さんの場合、東映京都の前に、
大映京都にいらっしゃったそうですが、
そのきっかけから教えていただいていいですか?

安藤さん

きっかけもなにも、映画が好きやったんや。
兄貴が東映にいたから、高校を卒業してすぐ京都にきて、
東映に「入れてくれ」とお願いしに行ったんやけど、
そのときはもう昭和40年とか41年とかで、
東映京都撮影所はすでに社員を採用していなかった

それでも、とにかく映画に関わりたいという気持ちで
今度は大映に行ってみたら、当時の照明課長だった森下喜一さんが
「おう、安藤。使うたろか?社員にしたろうか?」とおっしゃる。

もう、願ったりかなったりやね。
「ほんとうですか?!ぜひお願いします!」と即答した。
でもね、大映も経営状態は悪かったからね、森下さん、
「その代わり、会社はすぐ潰れるぞ。大丈夫か」
って、聞いてきたけどね(笑)。

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いきなり(笑)。でも、映画に関わるきっかけになるわけですから、
ありがたい話ですね。

安藤さん

そうよ、当時はどこも、試験を受けてからじゃないと、
簡単に入れなくなってたんだから。
そのときの俺は、映画の作り方も、撮影所のこともまったくわからなかった。
とにかく、映画に関われるならなんでもよくて、
「お願いします!」という感じだった。
だから、照明だったのも偶然。

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大映は「技術の大映」と言われるくらい、
スタッフの技術が高いことで知られていましたよね。

安藤さん

そう。俺が入ったときの照明技師には中岡源権さん、
カメラには宮川一夫さん、森田富士郎さんとかがいらっしゃいましたよ。
そこで6、7年間下積みしたんやわ。

だから、大映が1971年に倒産して、72年に東映に移ったら、
東映の人たちが
「へえー、大映にいらしたんですか。いい仕事をしはるんやろね」
みたいなことを言う。
でもね、俺は大映時代には何ひとつ身につかんかった(笑)

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何ひとつ?

安藤さん

そう…と言ったら言い過ぎかもしれんけど、
だって当時は下っ端の下っ端。
照明部に何十人と先輩たちがいて、その底辺にいる若造やもん。
ゴミみたいに扱われてた(笑)。
まあ、自分自身に余裕がなかったねえ、あの頃は。

俺と一緒に照明部に入った人がもうひとりいて、その人が優秀でねえ。
エリートで、みんなから寵愛されてたんだけど、
俺は、よく寝過ごすし、遅刻はするしで、
「なんやお前!」みたいにいつも怒られてた。
とにかく毎日、重たい機材を持って走り回っていて
「大映にいた7年間は何だったんだろう」と思うくらい、
ほとんど記憶にないね。機材運びくらいしかしてないんじゃないかな。

でもね、中岡さんは亡くなられる前に、
「いま東映でがんばっている安藤は、ええんちゃうか」
と言ってくださったらしい。
そりゃあ、うれしいですよ。当時雲の上の人だった人に、
認めてもらえたんやからねえ。


20年近く前の現場風景(大森組)。「煙草を吸いながら現場で仕事してたなんて懐かしい。今は厳しくなって、現場では煙草が吸えないから」と安藤さん(写真左)。右は、助手時代の杉本崇さん(現在は『座頭市THE LAST』をはじめ数多くの作品で活躍している照明技師)。

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東映ではどういう先輩についてらっしゃったのですか?

安藤さん

中山治雄さんとか増田悦章さん。
中山さんは格好良かったですよ。
椅子に座っていて、「よしっ」て立ち上がったら一斉に指示を出す。
その座り方も指示の出し方も格好よくてね。ピシッと決めていくからね。

中山さんに限らず、昔の活動屋はみんな格好良かったよね。
小津安二郎さんの帽子姿はいつも決まっていたというし、
工藤栄一さんの下駄姿とか、ものすごく様になってた。
京都の河原町を工藤さんが歩いたら、
「ああ、映画の人や」ってすぐにわかる。
映画人はやっぱりセンスがよくないといけない。


映画人には、現場に持っていく自分の椅子やスリッパなどに
サインをしている人が多い。雑然とした撮影現場でものを無くさないためだろうが、
オリジナリティあふれるサインは眺めていて楽しい。

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デビュー後は、映画では『大奥十八景』のようなお色気時代劇から
『極道の妻たち』のようなヤクザものなどを担当されていますね。
『極道の妻たち』では、カメラを森田富士郎さんが担当されている。
大映時代は森田さんも雲の上の人だったことを思うと、
これはすごいことですよね。

安藤さん

まあ、そうやねえ。ありがたいことやねえ。

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Part1.で、照明技師とカメラマンの関係について話を聞きましたけど、
森田さんとお仕事をしてみてどうでしたか?

安藤さん

いやー、結局ねえ、カメラマンには勝てないよ(笑)

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あ、そうですか(笑)

安藤さん

まあ、カメラマンにもよるけどね。
でも、森田さんや木村大作さんがカメラを回されるときは、
そりゃあ、お二人のおっしゃることはもっともで、教わることが多いもん。
監督との結びつきも、カメラマンが一番強いしねえ。

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そうでした、安藤さんは木村大作さんとも
一緒に撮ってらっしゃいましたね。

安藤さん

はい、極妻シリーズで3本。
あとは96年大森組の『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』と、
99年深作組の『おもちゃ』…かな。

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木村大作さんの著書、
『誰かが行かねば、道はできない』(キネマ旬報社)のなかに、
『おもちゃ』のときに「安藤を叱った」というエピソードが出ていたんです。
置屋のセットで、安藤さんは天窓があるという設定で
トップライトを当てていたけれど、木村さんは
「天窓を見せなきゃ、そんなことはわからないじゃないか」
と言って全部横から当てさせた、という話。

安藤さん

そう、そのときは「女優を美しく見せるには横からじゃなきゃ」と言われてね。
そのときに限らず、大作さんには怒られてばっかり(笑)
あの方は「セッティングが大事なんや」とおっしゃる方で、
照明や美術、すべてに細かく指示がいく。
声も大きいから、俺が怒られる声が現場に響くねん(笑)

大作さんと比べると、森田さんはすごく寡黙で、数字でものを言う方やね。
「そこの灯りが4倍で、こっちの灯りは2分の1に」ってね。
やっぱり、照明技師は、森田さんや大作さんぐらいの
すばらしいカメラマンと一緒に仕事しないといけないよね。
そうやないと、技師として成長できないよ。


帽子にもさりげなく「K.ANDO」の刺繍が。

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