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Part.4に続いて『男たちの大和/YAMATO』の
続きをうかがいたいと思います。
総額6億円をかけた原寸大の大和のセット、
製作期間はどれくらいかかったのでしょうか?

松宮さん

うーん、どれくらいですかね、現地では3、4ヶ月…かな。
でもですね、順番どおりやっていたらそんなんじゃ全然足りないんですよ。
甲板を引くだけでも何ヶ月とかかるので、
並行して、京都撮影所でも、主砲部分なんかを造っているんです。
そういったほかでの下準備も含めると、
半年ほどはかかったのかなと思います。
そうそう、実は、撮影が始まってからもまだ作業していましたからね。
大和の話は、だいたい左舷がメインなんで、

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サゲン?

松宮さん

左舷。船首に向かって左の部分ですね。

あのー、歴史的な話をすると、大和沈没の前に、
大和と同型艦の「武蔵」をアメリカ軍は攻撃しているんですが、
そのときは左右両方から攻撃したそうです。
すると、バランスがとれて沈まない構造になっているとわかったから、
大和攻撃のときは、左舷ばかりをねらったんだと。

私は専門家ではないから正確な史実はわかりませんけど
ともかく、「男たちの大和/YAMATO」のストーリーは
左舷が中心になっているので、
そちらから先に造り込んでいきました。
ようやく船首ができたのは、撮影が終わる前くらいでしたかね。

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大掛かりだったんでしょうねえ。

松宮さん

大工事でしたね。建て込みというより、工事(笑)

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前回、「できるだけ強いイメージを出したかった」
というような話をしてくださいましたが、映画的に、
現物の大和と変えたところはあるのですか?

松宮さん

ええ、あります。
まず、あれだけの大きさになると、カメラに映ったときに、
背景が、のぺっとした単なる鉄の壁みたいに見えるんですね。
だから、戦艦らしさというのを出していこうというので、
リベット(注:金属板や鋼材をつなぎあわせるために使う鋲)を
必要以上に付けていきました。
そうすることで、画面に陰影が出てくるんじゃないかと。

松宮さん

あとは戦艦の色ですね。
スタジオではなく尾道の港に造ったので、太陽光で撮ることになる。
太陽の光はものすごいので、セットを撮影すると
肉眼で見るより白く見えてしまうことが多いんです。
だから、大和のセットは実際の戦艦色よりもかなり重たい色にしています。
そのほうが、重厚感があって、強さを表現できると。

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ディティールの部分で「強さ」にこだわる。

松宮さん

そうですね。あ、でもね、強さにこだわったわりには、
「これじゃあ、弱そうに見えるじゃないか」とハラハラしたこともあって(笑)

──

どういうことですか?

松宮さん

前回少し話したように、主砲については、
構造は軽量鉄で造ったけれど、その外側をFRPで造っているんです。
主砲だけで10メートルもあるでしょ。
で、港に造ったセットなので、海からの強い風がそこにバンバンあたる。
すると、表面だけがどうしても風に揺れて動くんです。

──

うわっ、それじゃ、たしかに弱そうですね。

松宮さん

そうなんですよ(笑)、だからハラハラもんで。
でも、結果的には、そんなのはわからないので、大丈夫だったんですけど(笑)
まあ、いろいろありました。

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造り終わって、反響も大きい映画になって、
松宮さんとしてはどんな気持ちだったんでしょう?

松宮さん

そうですね。… やっぱり、大変やりがいのある、
ありがたい仕事をさせてもらったなと思います。

佐藤監督からもうれしい言葉をいただきましてね。

「少年兵役の人たちが大和に乗船するシーンでも、
目の輝きが違った、いよいよ乗り込むんだという気迫が備わっていた。
それに、セットの中でご飯を食べたり、甲板を掃除したりするうちに、
だんだんと下士官の顔になっていった。
撮影初日と戦いのシーンでは、ひとりひとりの顔がまるで違う、
それはやっぱり、セットのおかげだろう」と。

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それは、うれしいですね。

松宮さん

ええ。あとはやっぱり、大和の乗組員だった方や、
そのご家族がセットを見にきてくださったことですね。

──

見にきてくださったんですか!?

松宮さん

ええ。けっこう、交代交代で来てくださいました。
旦那さんが大和に乗って亡くなったという女性や、ご家族。
乗組員だった方は、お孫さんなどを数人連れてこられて、
「これにおじいちゃんは乗ってたんや」と説明していらっしゃったりね。

その光景はね…もちろんうれしかったですよ。
なんともいえない。

人が、文字通りいのちをかけた大和というものを、
こういう形でよみがえらせることができて、
大和に関わった方々が、
今から60年前にこんな壮絶な戦いがあったんだということを、
ご家族に伝えるひとつの方法を僕たちは提供できたんだというのは、
ほんとうに、ありがたいことだと思いました。

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