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俳優たちの待合室がある俳優会館の奥に、結髪室があります。
大きな鏡と、素人には解らない様々な道具で埋め尽くされた机に向かって、
東映京都撮影所の結髪師・山田真佐子さんは、
落ち着いた表情で静かに髪を結い上げます。
結髪とは文字通り、「髪を結う」こと。しかし、
「単に髪を結うことだけが、結髪担当の仕事ではない」
と、山田さんは語ります。

山田真佐子さんプロフィール

──

山田さんが東映に入られたのは昭和29年。

山田さん

そうかな。はい、そのころだと思います。

──

入って、ご結婚までの10年間は
大部屋女優として活躍されていたそうですが、
何がきっかけでこの道に?

山田さん

私の場合はね、母がマキノ映画の女優だった縁で、
当時の時代劇スター、月形竜之介さんに
撮影所の仕事を紹介していただいたんです。

──

あ、そうなんですか。お母様が。

山田さん

といっても、紹介いただいた仕事は女優ではなく、結髪でした。
私は「嫌です」って断って、それで大部屋に入れてもらったんです。

──

ええ!? 最初は結髪が嫌だったんですか?

山田さん

うーん、結髪が嫌だったというよりは、
若かったんでしょうね、表に出ることをやってみたかったんです。
父親も、一時期は自分でプロダクションまで興した役者でしたから、
両親の影響を受けているんだと思います。

──

では、山田さんにとっては、この業界に入るのは、
自然な成り行きだったんでしょうか?

山田さん

そうですね。でも、祖母は、私が女優になるのに反対だったんです。
その祖母が、髪結いだったんです。
つまり、一般の人の日本髪を結う仕事をしていた。

──

ああ、そうなんですか。

山田さん

祖母は、お弟子さんを数人持っていた腕のある髪結いでした。
だから、「女は手に職を持ちなさい」が口癖でね、
私に「美容師の免許をとるように」としきりに勧めるので、
私も学校を出てすぐ免許をとって、
撮影所に入る前は、祖母の昔のお弟子さんのところへ
美容師の修行に行っていたこともあります。
そんなこともあって、月形さんは私を結髪部に入れようとされたわけです。

──

なるほど。でも、それを振り切って大部屋に入られた。

山田さん

はい。ちょうど20歳過ぎたくらいですね。
当時は時代劇映画の全盛期だったので、徹夜でセットに入って、
部屋で仮眠したらまたロケ、ということもありました。

──

ほんと、当時はすごかったみたいですね。
やっぱり、山田さんもその頃は、女優として大成したいと?

山田さん

(そういう気持ちは)もちろんありましたね。
端役でももらえたら、やっぱりうれしい。
当時はね、マキノ監督が自ら、
道場で演技指導をしてくださったことがあったんです。
私も参加して芝居を観てもらっていたら、
「音を聴いていない」と言われて、はっとしました。
「そうか、画面に映らなくても、足音を聴く芝居、
ドアの音を聴く芝居があるんだ」って。

──

真剣に女優業をなさってたんだろうなという気がします。
でも、ご結婚を機に、退職されるんですね。

山田さん

だって、「主婦をして、子どもを育て、女優業も」
なんていうマルチなことはできないと思ってたから、
結婚したら仕事は辞めたかったんです。

でも子どもがまだ小学生だったときに主人が病気をしてしまいまして、
働かなくちゃならないというので、結髪部に入れてもらいました。
だから、結髪としてはちょっと遅いスタートでした。

──

お祖母さまに直接習うことはなかったのですか?

山田さん

それはありませんでした。

でも、結髪部として撮影所に復帰できたときには、
「祖母に言われるままにとった美容師の免許が、
今になって役に立ったんだなあ」とありがたく思いましたよね。


山田さんの机の中には数十年使い込まれた櫛がたくさん


結髪室には「水戸黄門」で使われるかつらが並んでいた

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